裏金とかいうけど、お金には罪はない

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おはようございます。

朝か夜にテレビをつけていると、悪臭を放つ言葉が流れるとテレビに目を向けてしまいます。
自己防衛本能かもしれません。

さて、今朝ニュースは、とある議員が香典(通夜、葬式でご遺族にお渡するお金)を包んで自身の選挙区内外に渡しているというものだった。
それに、公職選挙法疑いがかけられ、事務所に強制捜査が入っていた。

それを受け、他の党の方のコメントとして、「香典は裏金から出ているのではないか?香典は領収書などが必要のないものなので、裏金の流用をしているのでは。」と発言があった。

このニュースは最近よく流れるが、「裏金」という言葉はやはり何か罪深い響きがする。

そこで、私が思うのは、「お金」自体に罪はないといことだ。
お金には色がないという。正義でも悪でもない。

人間社会で倫理観を欠いた使い方をしているのに過ぎないと思う。
「裏金」というとどうしてもお金が悪く見える。
「裏人間が流用したお金」ということだろう。

さて、私はほけんのアンマー事業をやっていて思うことがある。
どうしても人によっては、お金に関して”負”の印象をもっている。

お金の話に対してや、保険は死生観、人生観にも触れる。
改めて、お金は人生において前向きに活用するものかと考えている。お金なしではいきていけないというのも現実かと思う。
そのお金の存在に有難みを感じ、いかに良好な関係を「お金」とももっていくという考え方が大切ではと思う。

この小さなブログ(メディア)だが、大手メディアのニュースに気持ちだけは負けないように綴っていきたい。

世に、「裏金」は存在しない。お金の裏取引をやっているのは人間だから。

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