「メメント・モリ」(memento mori)

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テレビから時々聞こえてくる「メメントモリ」という言葉。ゲームアプリのようだが私はてっきり“メメント森”だと思ってい

ふと気になり検索してみるとラテン語だそうだ

メメント・モリとは、「自分が(いつか)必ず死ぬことを忘れるな」「死を想え」という意味を持つラテン語の言葉。現代では主に「死を意識することで今を大切に生きることができる」という解釈で用いられることが多い。                                       引用:IDEA FOR GOOD https://x.gd/BE8Bj

 

「死ぬことを忘れるな」という言葉だけ聞くと若干怖いが、「今を大切にいきることができる」と解釈することはとても興味深い。前向きな言葉だと思った。

「死」を想いながら過ごしていると「生」が豊かになるのではないか。何か迷いがあるとき「死」を意識し考えることで自分が納得のいく選択ができるのではないか。また、大きく道を誤ることがないのではないか。

死は誰も経験したことがないし科学でも解明できていない。一般的に死は忌み嫌われるものだが、己の死について考えることは重要ではないか

人間関係とメメント・モリいついて考えてみた。「人の悩みの8割は人間関係」というがそうなんだろうな。私は「悩みが無さそう」と言われる。実際人間関係での悩みはほとんどない方だ。

私は人と喧嘩をすることが滅多にない。我慢しているのではなく、自分と違う考えがあるのは当然だと思っている。

夫との喧嘩もほとんど無い。夫が優しい人だからというのが大きいが、多少言い争いがあったとしても翌日には何も無かったかのようにいつもどうりだ。

自分が悪いと思ったらすぐに謝る。挨拶や声掛けもそうだ。送り出しの時は、「気を付けていってらっしゃい」と笑顔で見送るし、家族も私をそのように送り出してくれる。縁起でもない話だが、最後の会話が喧嘩だったというようなことを想像してしまい険悪な状態を長引かせたくないのだ。私の日常の中でのささいな「メメント・モリ」

私は健康そのものだが、「死」について想うことがある。事故など予期せぬことが世の中にはある。ただ常に頭に「死」があるわけだはない。頭の中から簡単にいなくなり忘れてしまうのも「死」だ。

今日は9月15日で老人の日だ。敬老の日がお祝いであるのに対して、老人の日は啓発を呼びかけているそうだ。高齢化社会が進む時代においては、どちらも大切な日だ。「メメント・モリ」について調べていると「ウェルビーイング」という言葉もよくでてくる。「Well(よい)」と「Being(状態)」が組み合わさった言葉で、「よく在る」「よく居る」状態を表すそうだ。

厚生労働省の平成30年度雇用政策研究会報告書では、ウェルビーイングのことを「個人の権利や自己実現が保証され、身体的、精神的、社会的に良好な状態にあること」と表現していますとある。

生きていればいつかは死が訪れる。ウェルビーイングな状態といっても一人一人違っていると思う。ただそこに居る幸せ。人生で大切にしたいこと。自分にとってのウェルビーイングとは何なのか、考えてみるのはどうだろうか。

 

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